カラー
2004.12 ラオス北部山岳地域のムラ
21日・22日・23日・24日・25日・26日・27日・28日・29日・30日・31日(1月1日)
2004年12月31日大晦日。今日もラオスの朝はゆっくりなので、年末の風情は感じない。ホテルで朝食後に国立博物館に出かける。
以前にラオスに来たときは改装中だったので初めて入館する。3000kipを払い1階の展示室へ。
ルアンパバーンの王宮博物館では、銅鼓が花瓶の置物になっていたが国立博物館では展示コーナーになっている。古そうなものは、風化しており土中埋納があったかもしれない。
ルアンパバーンのサンハーイ村で見た中世の焼締陶器類も展示してある。博物館に展示できる資料なのだから現地での保護もしっかりやってほしいものだ。博物館はラオスの近現代史の写真展示も充実している。博物館を後にしてラオスの地図局で10万分の1地形図を購入、今後の調査では活用したい。少し、時間は早いが空港に向かう。
空港内で見かけたモン族の送迎風景。お正月に米国から帰国したモン族の人を送るところだろう。ベトナム戦争で引き裂かれ米国に渡ったモン族は、現在12万人という。彼らの送金は、ラオスのモン族の生活資金となっている。1310ビエンチャン空港を空路タイのバンコクへ。12日間の旅行もあと1日、バンコクへは1400に到着
バンコク空港では、乗り継ぎの関係から半日の待機。外に出る元気もないので空港内でゆっくり過ごす。地震の影響はほとんど感じなかったが、空港の片隅には「安否確認」のビラが。悪夢のような津波から5日目のバンコクでした。2350のJL便で翌朝は、2005年1月1日に成田に到着。12日間の旅行日程無事に終えましが、帰りの機内では次の調査旅行をすでに考えていました。
ラオス、微笑みの国。平和と経済発展の中でラオスのムラは今、急激に変わろうとしています。我々と同じモノの豊かさを求めて変わっていく社会、しかし豊かさと引き替えに私たちが失ったモノをこの国の人たちもやがて失ってしまうのでしょうか?そんな訳で、急激に変わるラオスの山間部を訪ねて、次のラオス行きは・・・(次回につづく)
2005.1.23