2004.12 ラオス北部山岳地域のムラ
21日・22日・23日・24日・25日・26日・27日・28日・29日・30日・31日(1月1日)

 2004年12月28日今年もあと少しだな、と少し日本を思い出して起床。0700市場の食堂でカオ・ソーイの朝食後にシントーンホテルをチェックアウトした。5泊で75ドルは、ウドムサイでは最高峰のホテル、でも5泊する客もめずらしいだろうな。ちなみに部屋は広くて、バスタオルは毎日替えてくれるが湿っていて清潔感はありません。部屋には何もないがぬるま湯がでるホットシャワー、水洗洋式トイレ、天井の扇風機がついた1階の部屋でした。シャツの洗濯も二回ほど頼んだが、三点で50円くらい。
 0800ウドムサイを後にして自動車は、約二百km先のルアンパバーンをめざして出発。途中、ルー族のナーサイトン村で休憩。
 この村では、綿花から糸を作り、草木染めで染色した糸を織って織物を作っていた。糸取りがみたいとリクエストしたら、おばあさんは、さっそく糸車を取り出して綿から糸を撚るのを見せてくれた。
隣家の高床住居の下では高機で織りが行われてた。平地のラオスで最も普通の農村風景だが、山間部の谷間の村での素朴な家内制手工業だ、それも原料から製品まで一貫している。ここでの織りは、ウドムサイの会社が契約して行っているらしく一般の客には直接販売はしないそうです。
 しばらく自動車で走って山間の尾根に広がるモン族のソンチャ村に到着、高台に集まる高床倉庫群や鍛冶屋の見学を行う。この村は人口増加が著しく、神野さん曰く「毎年、住居域が増えているムラ」だそうで、近年の焼畑制限政策のなかで今後が注目される集落だ。ムラをあとにしてパークモンの集落で昼食。ここで国道1号線とはお別れ、谷間をルアンパバーンに向けて進めば低地が少しずつ広がりはじめる。
 パークモンから少し進めば、山間の低地は田植えが行われていた。乾期に田植えができるのは灌漑農耕が行える地域でこの地域は二期作地帯であるらしい。自動車はスピードを上げてウー川の右岸に到達。ここまでくればルアンパバーンは、もうすぐだ。
 途中のムラでの見学時間を除いても6時間かかって、1630にルアンパバーンに到着。5年前に比べて街はかなり賑やかになっていて驚きました。シャワーを浴びてメインストリートのモン族のナイトマーケットを見学。
 1800に正当派ラオス料理の名店タムナック・ラーオで夕食。ラープと空芯菜の炒め物でビールもおいしい。ウドムサイと比べて久しぶりの都会にお上りさん状態だ。宿泊は前回の5年前に泊まったニュールアンパバーンホテルに宿泊したが、小綺麗で賑やかな場所となっていてびっくり。2100にNHKの国際放送を見てから就寝。
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