2005.2 ラオス北部山岳地域の集落調査
その1
27日・28日・3月1日・2日・3日・4日・5日

2005年3月5日、0630に起床。ガイドのパイワンさんに見送られ?出国審査所で2500kipの土日料金を払って、メコン川を渡る。
 タイの川岸から見渡すフェイサイの街。決して大きくはないが、ルアンナムターへと続く国道3号線が中国国境につながる近未来、雲南からラオスを経て、タイのチェンライやチェンマイにつながるアジアンハイウエイがこの川を渡る橋でつながることでしょう。
 1130無事にチェンライに到着、街の食堂で鶏の米麺の昼食後に、市内の山岳民族博物館へ、1階のレストランの飲み物付きで50B。ここでは少数民族の道具や衣装、日本語解説のVTRもあってタイの山岳民族の様子がわかります。モン族やアカ族の鉄製品のスケッチを行い、1430に出発。
 チェンライの街並みにを見ながらぶらついたもののバックパックの荷物が重くて、また旅の疲れも出て午後は、しばしお寺で休息。ワット・チェットヨートのひんやりした本堂内は心地よい。チェンライのブックセンターでは、ラオスの少数民族の解説書(洋書)を5冊購入、3000B近く今回旅行で最も多大な出費。市場やワット・プラ・シンを見学後、夕方のナイトマーケットを散策、1900発のWaing innホテル(当日にホテルで予約・50B)の空港送迎バスで空港へ。チェックイン後に国際線の出国ブースに入ろうとしたが、飛行機の離陸時間50分前まで待てといわれて、空港内でおみやげを物色。なお、チェンライ国際空港の中には免税店はありませんでした。ようやく、タイを出国して定刻を30分遅れてチェンライを離陸、バンコク国際空港内でトランジット中に缶ビールとサンドイッチは、185B(518円)。もはやここはタイではなく、空港内は東京と変わらない。帰りの飛行機ANA916便は、定刻を40分遅れで0030にバンコクを出発。この時期は季節風が強くて、日本からの飛行時間が長くなるらしい。そう、アジアモンスーンは、ラオスと日本をつないで春の訪れをもたらしていたのです。春の訪れをラオスの森と早朝の成田に感じた、3月6日でした。
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