II 榛名火山二ッ岳の噴火
1. 山頂カルデラ以降の榛名火山
榛名火山は那須火山帯に属する第四紀成層火山で、群馬県のほぼ中央部に位置しています(写真10)。榛名山は赤城山、妙義山とともに 「上毛三山 」に数えられる群馬県を代表する山で、その山麓には板東太郎の名で呼ばれる利根川が流れています。
榛名火山は中期更新世の前半に活動をはじめた成層火山です(第4図)。40万年前に二回目の山体崩壊が起こりました(第5図)。後期更新世の44千年前に山頂部から火砕流噴出物と軽石を噴出した八崎テフラによりカルデラを形成しました(第6図)。その後37千年前にカルデラ内からプリニー式の軽石からなる降下テフラである三原田テフラを噴出しました、その後に榛名山の山頂には溶岩ドームが形成されます(第7図・写真11)。三原田テフラと姶良Tnテフラの間にはスコリアからなる御陰テフラが噴出しましたが規模は極めて小さい噴火でした。
20千年前には御陰火山礫層2が噴出し、相馬岳の溶岩ドームの形成、山体崩壊による陣場岩なだれ堆積物が形成されました(第8図)。
15千年前には水沢山付近の外輪山が山体崩壊し、行幸田岩なだれ堆積物が形成され、13.5千年前には水沢山の溶岩ドームが形成されました。
榛名火山の山麓には土石流堆積物を主とする扇状地堆積物が堆積し、後氷期の10.5千年前からはモンスーンの活動が活発になり山麓に総社砂層が堆積をはじめました。榛名火山はその後9千年間、目立った火山活動がないまま古墳時代に入って二ッ岳の噴火を開始しました。なお、二ッ岳形成期の火山活動は新井(1962)や森山(1971)、新井(1979)、早田(1989)により明らかにされました。
2. 有馬噴火と渋川噴火
有馬テフラは渋川市の有馬遺跡で発見された降下軽石であり、その鉱物組成や屈折率、テフラの分布から榛名火山起源とされ、溶岩ドームの榛名富士が噴出源の可能性が指摘されました(町田ほか1984)。また渋川市黒井峯遺跡の遺物との層序関係からテフラの年代は、5世紀末から6世紀初頭とされました。
有馬テフラは、角閃石や斜方輝石を含むデイサイト質軽石で、その火山ガラスや角閃石、斜方輝石の屈折率は榛名二ッ岳渋川テフラや同伊香保テフラの屈折率に近似しています(早田1996)。
また、有馬テフラの噴出源とされた榛名富士は、山頂カルデラ中央に位置する角閃石安山岩の溶岩ドームです。その表面は、なだらかで砕屑丘に似た地形を呈しますが、二ッ岳よりも水沢山や相馬山の溶岩ドームの開析に近いように観察されます。榛名富士は、山頂カルデラ形成後に三原田テフラを噴出した火口を埋めて形成された溶岩ドームの可能性があると思われます。
有馬テフラをもたらした噴火は、層序から渋川噴火に先だって小規模な軽石を噴出した準プリニー式噴火であり、渋川テフラと同じような鉱物組成を呈することから、同じマグマが起源となった可能性があります。ですから渋川噴火に先だって有馬噴火によって火口が形成され、その後に二ッ岳を形成する本格的な噴火がおきたと考えることができます。
二ッ岳の火口底と考えられる伊香保温泉源泉付近の露頭には、渋川噴火以前の水成堆積物が観察されます。この堆積物は有馬噴火によって形成された火口を埋めた堆積物かもしれません。
渋川テフラを噴出した噴火は、古墳時代後期の5世紀末に起こりました。これは早田(1989)により詳しく研究されています。早田さんは渋川テフラを層相からS-1〜S-12の堆積物に分類しました。
S-1は淡紫灰〜褐色の細粒火山灰からなります。この火山灰は細かな岩石の粉からできた火山灰です。
マグマが火道を押し広げながら吹き出ようとするため火口地下の岩石を粉砕して吹き上げたり、マグマが地下水と接触して水蒸気マグマ爆発が起こったためもたらされたものと考えられます。
この火山灰の上部には火山豆石が見られることから、噴火した火山灰とともに雨が降り注ぎ、火山灰が降下しながら塊になったことがわかります。おそらくは噴火が起こりながら雷が起こるような雨を伴って噴火が進行したのでしょう。
S-2からS-4は小規模な火砕流堆積物や降下軽石、火山灰の互層です。水蒸気マグマ爆発によってもたらされた噴出物が含まれます。
S-5は灰色火砕流堆積物です。渋川市の沼尾川沿いでは軽石を含んだ厚い火砕流堆積物の層相です。S-5火砕流堆積物は、沼尾川から滝沢川にかけての榛名山北東麓の谷沿いを中心に厚く堆積し、現在の利根川まで達しています。沼尾川でみられる火砕流堆積物には大きな軽石と伴に発泡の悪い角閃石安山岩の角礫が含まれています。これは噴火によって生まれた二ッ岳溶岩ドームが崩壊することによりもたらされたと考えられます。
S-6からS-9は、S-5火砕流堆積物の後に東麓に降下した灰褐色や黄色細粒火山灰の互層や火砕流堆積物です。早田(2006)によれば、特にS-6とS-7の火砕流堆積物を伴う噴火は火口から斜めに噴火した可能性が指摘されています。渋川市街地に近い中村上郷遺跡では、この時に吹き飛ばされた人頭大の軽石が地面にめり込んでいました。マグマが水蒸気と接触して激しい噴煙をあげる鶏尾状噴煙が上がり、遠くまで軽石が吹き飛ばされたようです。
またこの火砕流堆積物に伴う火砕サージ堆積物は、渋川市の利根川の低位段丘上に位置する白井遺跡群に達し、爆風でなぎ倒された倒木跡がたくさん見つかっています。
S-10は規模の大きな灰色火砕流堆積物です。溶岩ドームの崩壊によって減圧された火道からマグマが吹き出したプレー式の火砕流堆積物です。渋川市の沼尾川沿いでは軽石を多く含む厚い火砕流堆積物の層相で、沼尾川火砕流と呼ばれました。S-10火砕流堆積物は、沼尾川から滝沢川にかけての榛名山北東麓の谷沿いを中心に堆積し、榛名火山東麓を広く覆いました。榛名火山東麓の斜面では、火山灰互層の上に軽石粒を含んだ灰色の川砂が重なっているように見えます。S-11とS-12は、S-10火砕流堆積物の後に東麓に降下した褐色の火山灰層やピンク色の火砕流堆積物です。
渋川噴火は、テフラ直下に残された水田遺構の耕作復元から初夏の噴火であると考えられています。数週間に及ぶ噴火が終了したあとは夏季から秋季のモンスーンによる降雨で泥流や土石流堆積物といったいわゆるラハールを発生させました。
渋川テフラに伴うラハールは、発泡の悪い軽石や青灰色の角閃石安山岩礫を含み渋川テフラの直上に見られます。この堆積物は主に榛名火山東〜東南麓の河川沿いを流れ、当時の河川が流れた谷を埋めていきました。これらの堆積物はS洪水堆積物と呼ばれています。
3. 伊香保噴火
渋川噴火が起こってから約30年程度の休止期をおいて再び噴火がはじまりました。伊香保噴火の噴出物は、高崎高等学校地学部(1969)や老川他(1985)により報告され、早田(1989)は伊香保テフラを層相からI-1〜I-14の堆積物に分類しました。
I-1からI-5は灰色降下軽石層の互層で石質岩片を含み黄色細粒火山灰などが挟まれます。プリニー式噴火がはじまる先駆的な噴火によってもたらされた堆積物です。
I-6は最も厚さのある灰色軽石層で火口周辺では10m近い厚さがあります。また軽石の大きさも大きく、内部は高温酸化のため赤桃色に鉄分が変化したものが見られます。このような軽石は、火口から10km以上離れた白井遺跡群でも認められるので、火口から噴出した際は高温を保っていたことがわかります。
この噴火によって伊香保噴火は、プリニー式噴火のクライマックスを迎え、次の段階で火砕流堆積物を噴出しました。
I-7からI-12は灰色軽石層と成層した灰色火山灰の互層です。これらの堆積物はプリニー式の噴煙柱から上空に吹き上がった軽石と沼尾川や榛名白川に向かって吹き出した火砕流堆積物であり、これらは二ッ岳第2軽石流堆積物と呼ばれています。
伊香保噴火は、二ッ岳溶岩ドームを形成した噴火口から直接噴出したものと考えられます。噴火は断続的に継続され、プリニー式噴火が収まった最終盤には溶岩ドームが形成されたものと考えられます。
伊香保噴火も、テフラ直下に残された水田遺構の耕作復元から初夏の噴火であると考えられています。噴火後の降雨で山麓に降下した大量の軽石は泥流や土石流堆積物として大規模なラハールが発生しました。
すでに渋川テフラに伴うラハールによって山麓の谷は埋められており、伊香保噴火に伴うラハールは、榛名白川をくだり井野川の上流に土石流扇状地を形成しました。また東麓のラハールは沼尾川、滝沢川を中心に利根川へ大量の土砂を供給しました。これらの堆積物はI洪水堆積物と呼ばれています。
4. 利根川沿いに分布する二ッ岳形成期の火山噴出物
二ッ岳の二回の噴火でもたらされた火山噴出物は、火砕流堆積物や降下火山灰、降下軽石ですが、これらの噴出物は主に北東麓の沼尾川から南東麓の榛名白川流域にかけての地域に広く分布しています(第8図)。
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