平成22年度調査遺跡発表会資料 10ー11頁
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団発行 許可を得て転載
2010.06.06
十日市遺跡(とおかいちいせき)
専門員(総括) 矢口裕之
1 遺跡の位置と概要

 十日市遺跡他の発掘調査地は、榛名山東麓の相馬ヶ原扇状地の標高200m前後の台地に存在する遺跡群で、北から舞台遺跡、千代開北遺跡、千代開南遺跡、住遺跡、十日市遺跡からなります。調査地付近には、牛王頭川、吉岡川、自害沢川が流れ、台地は主に約2万年前の陣場岩なだれ堆積物と泥流丘で形成されました。調査は平成20〜21年度の県道高崎渋川線道路改築事業に伴う埋蔵文化財発掘調査事業として実施されました。

2 調査の成果

 調査地で発見された最も古い時代の遺跡は、縄文時代前期から中期(約6000〜4500年前)の遺跡です。十日市遺跡や舞台遺跡では、竪穴住居跡や埋設土器の墓坑、水場遺構などが見つかりました。
 調査地で最も遺構の量が多い遺跡は、平安時代の集落遺跡です。当地は古代に桃井郷と呼ばれていた地域であり、浅間Bテフラで埋没した水路や約120軒の竪穴住居跡などが見つかりました。集落には住居の大きさが異なるものや竃を伴わない竪穴遺構が見られ、当時のムラを復元する上で興味深い事例が得られました。
 千代開南遺跡では配石を伴った方形の土坑が見つかりました。土坑は、鉄釘の出土状況から木棺墓である可能性が高く、副葬された土器の年代は平安時代です。また9世紀後半の大型の竪穴遺構からは、鍛冶炉の痕跡が見つかり、たくさんの鉄釘や鉄鏃、刀子などが出土しました。
 今回の発掘調査で特筆される遺跡は、鎌倉〜室町時代の遺構群です。十日市遺跡の南部では、約1000基を越える中世の土坑や柱穴が見つかり、これらには土坑墓や小型の建物遺構、柵などが含まれます。
 十日市遺跡の北部では、中世墓と思われる方形の土坑から、人骨や土器が見つかりました。墓坑は、鉄釘の出土状況や地層の様子から木棺墓である可能性が高く、副葬された土器の年代は鎌倉時代です。また、方形区画の堀に囲まれた室町時代の館跡や15世紀後半と考えられる大型の掘立柱建物が検出されました。建物は、南北7.6m、東西11.6mの規模であり、この地域の有力者の館跡であると思われます。
 十日市遺跡の調査区に隣接した小高い丘には、中世の桃井城跡が見られます。十日市遺跡の中世遺構群の分布を概観すると土坑墓や柱穴群が卓越する地区と館跡や掘柱建物群が重複する地区が見られ、その間に桃井城が存在しています。これらのことから、この地域は一定の地割りをもって都市計画がなされた中世集落であることがわかります。また、小字地名にもあるように十日市(月に十のつく日に開催される三斎市)が開かれた、この地域の中心地であった可能性があります。

国土地理院発行地形図「榛名山」「前橋」を使用

室町時代(15世紀後半)の大型建物(十日市遺跡)

鎌倉時代の木棺墓(十日市遺跡)

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