2004年12月に起こったスマトラ沖地震は津波や建物の倒壊による死者が約15万人に達し、空前の大惨事となった。今年10月に起こったばかりのパキスタンの地震は、死者は4万人を超えるとされており、21世紀初頭のアジアに連続する地震災害は、人々の暮らしに不安な影を落としはじめている。 弘仁地震の巣をさがす 阪神淡路大震災の後、国は関東地方の大地震である弘仁地震の発生源と考えられる活断層を探すべく県内の調査をおこなった。高崎市街の西方に広がる岩野谷丘陵(通称観音山)の縁は、断層地形がみられることから、その有力候補とされ、ボーリングやトレンチ調査により深谷断層系と呼ばれる活断層の存在が確認された。 大地震でできた高崎台地 1984年秋に高崎台地の縁で、当事業団による上並榎南遺跡の発掘が行われ、台地を構成する7m以上の供給源不明の火山性堆積物が調査報告書に記載された。この地層は、以前から地元の研究者により注目されており、榛名や浅間山が給源として想定されていた。 大地震は繰り返す? 大地震を起こす活断層は、一定周期で繰り返し地震を起こしていることが知られている。県内では、すでに赤城や榛名山麓、碓氷峠などでも過去の地震の痕跡が見られ、縄文時代や古墳時代に火山性の地震があったことが知られている。
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群馬の風土を探る最前線
発掘された群馬の地震 専門員 矢口裕之
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団発行 2006年
遺跡に学ぶ 第26号 4-5頁から転載
巨大地震が襲う21世紀
国内に目を向ければ、阪神淡路大震災を発生させた兵庫県南部地震から10年目となる今年は、昨年10月の新潟県中越地震にはじまり、5月の福岡県沖、8月の宮城県沖地震と続いて大きな地震がおきた。地震列島の名前のとおり、人々に災害の怖さを実感させた一年となりそうだ。
群馬県は、日本列島の中央部に位置し、内陸にあるため台風の直撃も少なく、また近い過去に比較的大きな地震の記録がないことから、火山災害や洪水をのぞけば災害が少なく安全な場所と思われてきた。
ところが、今から十数年前に、平野部の埋蔵文化財の発掘が進むと各地で地震に伴う地割れや山崩れの跡が発見されて話題となった。これらの地震痕跡は、弘仁地震(818年)と呼ばれる大地震の産物であることが明らかとなり、最近では墳砂から遺跡の年代を推定したり、山崩れに伴う洪水堆積物から埋没水田を発掘するなど平安時代の指標層ともなっている。
この調査で見つかった断層の活動は、最新のものが約6〜2千年前であり、弘仁地震の証拠を捕らえることはできなかった。しかし断層により5万年前の堆積物が13mも変位していることが明らかとなり、県内で詳しい調査が進んだ事例となった。
弘仁地震の巣は、どこにあるのだろうか?県内の平野部は、火山の堆積物や利根川流域の河川堆積物に覆われているため、地表で断層の存在を探すことは難しい。これは、新たな堆積物が地震の傷口がすぐに埋められてしまうからである。
深谷断層系は烏川を挟んで高崎台地と岩野谷丘陵が接する境界に存在し、この地域の地形境界は断層系と同じNW-SE方向が卓越している。前橋台地と旧利根川流路の広瀬川低地帯や井野川低地、赤城山の山麓縁までこうした傾向の広がりがみられる。
これらの地域は、榛名火山の火山麓扇状地と利根川水系の河川によって形成され、地表下数十mは上部更新統〜完新統によって構成されている。このような地質環境から活断層を見つけることは、容易なことではないが、ボーリング調査などによって地下の基盤構造が明らかになれば、構造谷の有無が明らかとなるだろう。

この堆積物は、1990年には井野川泥流の名前で群馬県史に記述されたが、時代や供給源が明らかとなって 「高崎泥流 」と命名されて学会に発表されたのは、1993年のことである。高崎台地を覆うこの堆積物は、碓氷川水系の九十九川上流が崩壊した山崩れの堆積物であり時代はおよそ1.3〜1.2万年前と考えられた。
高崎泥流がどんな理由で斜面崩壊を起こしたのかその原因は、当初は謎であった。しかし、1994年頃の発掘で、前橋市南部や子持村など利根川沿いの各地から相次いで板鼻黄色テフラ層の前後が液状化した堆積物が発見された。これらは砂や火山灰質シルトなどがテフラ層を乱して吹き上がっており、テフラ降下後の地震災害によるものと推定される。同様な液状化は、その後に烏川流域の榛名町でも見つかっており、地震痕跡が広範囲にわたる大地震だったことが予想された。
また最近の調査では、渋川市の遺跡で榛名山の水沢山の山体崩壊堆積物の上位から縄文時代の遺物包含層が発見され、山崩れの年代が1.3〜1.2万年前と推定されることが明らかとなった。
こうした地質現象が大地震に起因する同一のものだとすれば、群馬県西〜中央部地域の広範囲にわたる災害が過去に起きていたことは、ほぼ確実で、地形が変化するほどの大災害である可能性が高い。

しかし、県内では継続した地震の痕跡は見つかっていない。安中市の中野谷原遺跡では、縄文時代の地震による地割れ跡が発掘されている。最近、発掘された古屋地区遺跡群では、川沿いの高崎泥流の上位に約5千年前の山崩れ堆積物が認められた。同一水系に複数の山崩れ堆積物が認められることは、継続した地震災害の堆積物である可能性がある。
また、この時期は、榛名山麓でも扇状地形成が活発化し、元総社ラハールと呼ばれる堆積物が知られている。一連の現象や堆積物は、縄文時代中期に群馬県西部に起きた地震に起因する可能性があり、今後注目する必要があるだろう。
発掘調査で見つかる過去の地震跡は、その規模や時代を特定することで、地震の癖ともいわれる長期の周期性を解明する手がかりになる。地震考古学の名前が世間に広まってから、しばしの時がたった。防災行政や埋蔵文化財行政の連携で、そろそろ全県的な資料集積が必要な頃ではないかと思われる。

県中央部の地形
深谷断層系(A)に併行しているB〜Dの地形帯がみられるのはなぜだろう?平野の地下には何があるのか。
凡例
1岩野谷丘陵・秋間丘陵 2榛名火山 3赤城山麓・伊勢崎台地 4榛名南東山麓扇状地・高崎台地・前橋台地 5広瀬川低地帯
A 深谷断層系(烏川断層) B 烏川・井野川帯 C 前橋台地帯 D 広瀬川帯
追記(リンク)
高崎市 地震防災マップ・地震防災マップ(ゆれやすさ)
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